●明石家さんまさんから学ぶ"落ち込まない自分になる"方法いよいよ本日最終回!!

2014年04月06日 08:32

2014年4月6日(日)【天馬天吉の今日の名言】

お早うさん!

なにはともあれ、今日も生きて

朝を迎えられたことに感謝しましょう。

昨日までの怒りは、さらりと流して

今日も1日元気に明るく、てんてん行きますよ~


●明石家さんまさんから学ぶ"落ち込まない自分になる"方法

いよいよ本日最終回!!


 


人間、生きてるだけで丸儲け!!




天吉能書き


 この名言は以前紹介しています。

究極です。


本当に短い文章に人生の考え方がすべて詰まっています。

これを素直に捉えられる人は、楽な生き方ができます。


天吉は、いかなる賢人の素晴らしい言葉の中でも

この名言に勝るものはないと思います。


この言葉ですべて解決です。

どんな悩みも苦しみも痛みも


人間、生きてるだけで丸儲け!!


と心で唱えるだけで

有り難さが溢れます。

感謝心が生まれます。

付け加えるなら


生かしてくれていることにありがとう!!

です。


10回にわたってさんまさん特集お届けしました。


さんまさんは単なるひょうきんものと思っていました。

彼がなぜあそこまで全力で笑顔を振りまけられるのか

その深い意味を知りました。


天吉はそこに感動し、この特集を組みました。

彼の意外な過去に、意味が隠されています。

以下がその事実です。



実母はさんまが三歳のときに病死している。

(さんま兄が)小学校高学年の時に父が再婚、さんまには年の離れた弟(故人)ができた。


「中学生くらいの頃は娯楽といえぱ、三枝(文枝)のラジオ『ヤングタウン』でね。 
二段ベッドでいつも二人で聞いてたんです。

新しい母には遠慮もしたし、やっぱり反発もあった。
その母が昔、隣の部屋で酒を飲みながら『うちの子はこの子(弟)だけや......』

って言うのが壁伝いに聞こえてきたんですよ。


二人でよう二段ベッドで泣きましたわ。せやから高文は酒飲む女の人が苦手なんです。
芸能界行くまではほとんど飲まなかったし、今も本質的に酒は好きじゃないと思います」


継母はずっとさんまを完全無視してて、まるでさんまがそこにいないかのように弟にばかり話しかける。

さんまはそれでも継母と仲良くしてもらおう、反応してもらおうと毎日毎日必死で面白いことを考える。
そのウチ学校でもそのノリで暮らすようになって一躍人気者、お笑いの道へ。


さんまの弟(当時19歳)は火事が原因で亡くなっている

弟は実家の火災で亡くなった。
当時弟は高校生。さんまは冠番組を持つほど人気があった。


「ぼくのことを、昔から、すごく尊敬してくれるやつでね。
ぼくがいうことは、すべて正しいと思っていたみたいですよ。
自分にも、それから他人にも、素直に自分をさらけだせるやつでしたね。
ぼくもサッカーやったけど、チビのほうがすごいんですよ。
サッカー部のキャプテンで、インターハイにも出たし、国体選手にも選ばれたしねえ......。
去年の10月、大阪のぼくのマンションに遊びにきたとき、今度のワールド・カップをふたりで一緒に見に行こう。
キップはぼくが買っとくからって、約束しとったのに......。

まだ納得できません、あのチビが死んだなんて......」(明石家さんま)


日本航空123便墜落事故でさんまは死んでいた?!

日本航空JAL123便墜落事故とは、1985年8月12日に起きた単独機としては

世界最悪の犠牲者数を出した航空機墜落事故である。その数は520名に及ぶ。


さんまは当日、東京のフジテレビで「オレたちひょうきん族」の収録後、

当便で大阪へ移動し、毎日放送「ヤングタウン」に出演予定であった。

だがたまたま「ひょうきん」の収録が予定よりも早く終わったために、

123便をキャンセルし、ひとつ前のANA35便と推測される便で大阪に向かい難を逃れた。


さんまは事故当日の生放送のラジオレギュラー番組では言葉を失うほどのショックを受け、

番組をこの事故の報道特番に切り替えた。


さんまはこの事故をきっかけに、新幹線で行ける範疇の場所(東京~大阪の往復など)へは

飛行機ではなく新幹線を利用するようになる。


生きているだけで丸もうけ!!


母と弟の死、そして自分自身も日航空機事故で死にかけた経験から生まれた言葉。


さんまにとっては重い言葉なのである。 


ちなみに彼の年収は、約15億円、総資産約100億円だそうです。


確かに生きてるだけでまる儲けになってしまったようです。