天吉特番『大震災から早3年』

2014年03月11日 11:07


天吉特番『大震災から早3年』

 

ビートたけしが震災直後に語った「悲しみの本質と被害の重み」

 東日本大震災から3年。

震災直後にビートたけし氏が『週刊ポスト』誌上で語ったインタビュー記事

「『被災地に笑いを』なんて戯れ言だ」は、当時大きな反響を呼んだ。

その言葉は、震災から3年が経過した今でも色褪せることはない。

著書『ヒンシュクの達人』(小学館新書)にも収録されている

当時のたけし氏の言葉を、あらためて全文公開する。


 
   
 

 * * *


なによりまず、今回の震災で被災された方々には心よりお見舞い申し上げます。

こんな大惨事になるとは思ってもみなかった。


ちょうど地震の時は調布のスタジオで『アウトレイジ』続編の打ち合わせをしててさ。

オイラ、普段は大きな地震でも平気な顔して座ってるタイプなんだよ。

だけど今回は、スタジオの窓から見えるゴミ焼却炉のデカい煙突がグラグラしててさ。

今にもこっちに倒れてきそうなんで、たまらず逃げたね。

こんなこと初めてだよ。

そんなの、震源地に近い東北の方々の被害に比べりゃ何でもない話だけどさ。



どのチャンネルつけても、報道番組一色で、オイラはすっかりテレビから遠ざかっちまった。

こうなってくると、ホントにお笑い芸人とかバラエティ番組にできることは少ないよ。



地震発生から間もない14日の月曜日に、『世界まる見え! テレビ特捜部』(日本テレビ系)の収録があって、

スタジオに客まで入れてたんだけど、直前に取り止めたんだ。

所(ジョージ)と相談してさ。こんな時に着ぐるみ着てバカやれないよって。

とてもじゃないけど笑えないよってさ。



よく「被災地にも笑いを」なんて言うヤツがいるけれど、

今まさに苦しみの渦中にある人を笑いで励まそうなんてのは、戯れ言でしかない。

しっかりメシが食えて、安らかに眠れる場所があって、人間は初めて心から笑えるんだ。

悲しいけど、目の前に死がチラついてる時には、芸術や演芸なんてのはどうだっていいんだよ。

オイラたち芸人にできることがあるとすれば、震災が落ち着いてからだね。

悲しみを乗り越えてこれから立ち上がろうって時に、「笑い」が役に立つかもしれない。

早く、そんな日がくればいいね。



常々オイラは考えてるんだけど、こういう大変な時に一番大事なのは「想像力」じゃないかって思う。

今回の震災の死者は1万人、もしかしたら2万人を超えてしまうかもしれない。

テレビや新聞でも、見出しになるのは死者と行方不明者の数ばっかりだ。

だけど、この震災を「2万人が死んだ一つの事件」と考えると、被害者のことをまったく理解できないんだよ。



じゃあ、8万人以上が死んだ中国の四川大地震と比べたらマシだったのか、そんな風に数字でしか考えられなくなっちまう。

それは死者への冒涜だよ。

人の命は、2万分の1でも8万分の1でもない。

そうじゃなくて、そこには「1人が死んだ事件が2万件あった」ってことなんだよ。



本来「悲しみ」っていうのはすごく個人的なものだからね。

被災地のインタビューを見たって、みんな最初に口をついて出てくるのは「妻が」「子供が」だろ。

一個人にとっては、他人が何万人も死ぬことよりも、自分の子供や身内が一人死ぬことのほうがずっと辛いし、深い傷になる。

残酷な言い方をすれば、自分の大事な人が生きていれば、10万人死んでも100万人死んでもいいと思ってしまうのが人間なんだよ。



そう考えれば、震災被害の本当の「重み」がわかると思う。

2万通りの死に、それぞれ身を引き裂かれる思いを感じている人たちがいて、その悲しみに今も耐えてるんだから。

だから、日本中が重苦しい雰囲気になってしまうのも仕方がないよな。

その地震の揺れの大きさと被害も相まって、日本の多くの人たちが現在進行形で身の危険を感じているわけでね。

その悲しみと恐怖の「実感」が全国を覆っているんだからさ。

逆に言えば、それは普段日本人がいかに「死」を見て見ぬふりしてきたかという証拠だよ。

海の向こうで内戦やテロが起こってどんなに人が死んだって、

国内で毎年3万人の自殺者が出ていたって、ほとんどの人は深く考えもしないし、悲しまなかった。

「当事者」になって死と恐怖を実感して初めて、心からその重さがわかるんだよ。


それにしても、今回の地震はショックだったね。

こんな不安感の中で、普段通り生きるってのは大変なことだよ。

原発もどうなるかわからないし、政府も何考えてるんだかって体たらくだしさ。

政治家や官僚に言いたいことは山ほどあるけど、それは次回に置いとくよ。

まァとにかく、こんな状況の中で、平常心でいるのは難しい。

これを読んでる人たちの中にも、なかなか日頃の仕事が手につかないって人は多いと思うぜ。

それでも、オイラたちは毎日やるべきことを淡々とこなすしかないんだよ。もう、それしかない。



人はいずれ死ぬんだ。それが長いか、短いかでしかない。

どんなに長く生きたいと思ったって、そうは生きられやしないんだ。

「あきらめ」とか「覚悟」とまでは言わないけど、それを受け入れると、何かが変わっていく気がするんだよ。



オイラはバイク事故(1994年)で死を覚悟してから、その前とその後の人生が丸っきり変わっちまった。

今でもたまに、「オイラはあの事故で昏睡状態になっちまって、

それから後の人生は、夢を見ているだけなんじゃないか」と思うことがある。

ハッと気がつくと、病院のベッドの上で寝ているんじゃないかって思ってゾッとすることがよくあるんだ。



そんな儲けもんの人生だから、あとはやりたいことをやってゲラゲラ笑って暮らそうと思うんだ。

それはこんな時でも変わらないよ。

やりたいことは何だって? バカヤロー、決まってるだろ。

最後にもう一本、最高の映画を作ってやろうかってね。


 


どんな天地がひっくり返るような大事も

当事者を除いては、

過ぎて行く時の量に比例して薄らいでいく


しかし、当事者の中には

薄れるどころか時が経つほど、

重みが増してくる方々も多くいると聞く。


この3年は、

被災者の方々だけに限らず、

日本中の全ての人々が


『生きていること』

『生きていけること』

『生きるとは』

『どのように生きていくのか』

『生きることの価値』

『自分の存在価値』

『幸福の価値観』

『当たり前への感謝心』


等々の意味を

深く考えさせられ、

又学んだことと思います。


今まで、そういう危機感もなかった人々も、

家族や仲間やなどとそのような観点で

語り合う機会を得たと思います。

多くの犠牲者がそのような

機会を与えてくれたのだと思います。

日本中から多くのボランティアの方々が応援支援しました。


うちの娘も、嫁はんも行きました。

しかし、大半の方々は気持ちはあれど

犠牲にあったご本人や家族に、ほぼ何もしてあげられません。


天吉も、3年前当時

人生の最大の危機にあると考えていました。

ふさぎ込んでいました。

しかし、大震災でその考えへが

大きくかわりました。


『命があるじゃん』

『家族がいるじゃん』

『住むとこあるじゃん』

『食べ物あるじゃん』

『やることあるじゃん』


一瞬に全てを失った方々に比べたら、


『何の不満があろうかな!』

全てが耐えられる範囲内、

すべて物事を

『それに比べれば何のこれきしの事』と

何事も『肯定的』に

考えられるようになりました。


天馬天吉もそのような時に生まれたのです。


『どうせ毎日来る1日ならば前向きに明るく生きよう!』


苦しい時期、

救いは自分を元気づけてくれる

賢人の言葉でした。

好調子の時には見向きもしなかった、

多くの偉人賢人の言葉が

ねじれかけていた心を少しずつ戻してくれたのです。


何百年も前の人たちも、同じような悩みを持っていたんだな・・・

こうして乗り越えたんだな・・・

行き着くところは

『己の考え方次第』

にたどり着きます。


東北の大震災は確かに多くの犠牲が生まれました。

しかし、裏で多くの人間のこころを立ち直らせてくれました。


あす我が身に降りかからないことではありません。

では、我々はどのような考え方で

なにをしていくべきか

毎日『ありがい』という心で

たけしの言葉・・・

『オイラたちは毎日やるべきことを

淡々とこなすしかないんだよ。

もう、それしかない。』

それが犠牲者の方々への弔いと恩返しであろう。

3年間に『合掌』