第1章 『一生航海』

2013年9月26日(木)【天馬天吉の今日の名言】

お早うさん!今日も1日元気に明るく、てんてん行きますよ~

『航海と後悔』シリーズで何話か続けようと思います。気分次第です。

第1章 『一生航海』

先日、天吉はあるイベントで『航海と後悔』というタイトルでお話をしました。

人の一生とは航海の連続である。何度も船を乗り換え人生の目標に向かって航行し続ける。

航海をあきらめ、やめることはその場で浮遊する。

与えられた一生と言う大海原で漂うことを意味する。

やがて、時と流れと共に船は朽ち沈みゆくことなる。・・・残るのは『後悔』

 

人間は、大方が自立して行動するまでは親の航行する船に乗り親の行先任せで航海を続ける。

親の作った船の大きさは様々で、手漕ぎボートレベルから、大型豪華客船級まである。

しかし、殆どの人間が、一生この親の船に乗って一生を終えることはない。

なぜなら、この親の船も時代と共に古くもなるし、ましてや穴が開き沈没することさえある。

 

親の船の大きさで、子供の将来が幸福になるのか不幸になるのかという方程式はない。

不安定で激しく揺れる小舟で育った子供が、その環境から脱却するために、絶えずチャレンジし大きな成功を収めることもある。

反対に、沈むはずのない巨大船で育った子供が、危機感のなきまま大人になり船が傾きかけとき

何の対処もできず不幸を背負っていく人生も有る。

 

いずれにせよ生きていくということは『一生航海』を続けていくことである。

問題は、何歳であれ、『どのような船に乗り、何に向かって航海を続けるのか?』という目標である。

行先も決めず船を出す者はいない。

 

今、何の目標もなく、乗る船もなく、探しもせず、与えられても乗りもせず、御託と言い訳ばかりを繰り返し漂っている人は、

毎日10キロメートルで人生という坂を下っている。

何を『もたもた、ぐちゃぐちゃ、よれよれ、ほにゃほにゃ、へちゃへちゃ、ねちえち』しているのだ!

ボチボチなんて言ってたら本当の墓地に行っちまうぞ!毎日10キロの下りだぞ!

 

日々アンテナを立て、眠った意識と意欲を駆り立て、少しの可能性も見過ごさず、やれることからやるのだ!

大袈裟なことはその次だ!男は大方大口ばかり叩いて、ほとんどが評論家だ。

(失礼!自分も発しながら重くのしかかってます。後からママが「今日のは気合いが入っていたわね~ヒヒヒ」

なんて言われちゃうかもですから。)

 

そうは言っても天吉さん・・・やることがないんで・・・『ばかもん!』

まずは、やることがないんじゃなくて「何がやりたいかを真剣に考える」のじゃ。

本気でそれがしたければ、必ず真剣に糸口を探すから必ず見つかる。見つけたら小さなことから、

できることから始めよう。それを継続するのだ。なんか無駄なことのようでもなんでもやってみる。

まず乗る船を見つけなければ、造らなければ絶対に人生将来一生

か・わ・り・ま・せ・ん